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江戸幕府初代将軍  徳川家康

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われ未だ志を得ざるとき、二文字を守れり。忍耐これなり

●家康の言葉だが、実はこの後に対句となって次のようにつづく。
「われまさに志を得んとするとき、四文字を守れり。大胆不敵これなり。われ志を得たるのち、四文字を守れり。油断大敵これなり」
と、三つの時期に分けて自分の心を戒めた教訓を明らかにしているのだが、未だ志を得ない準備の段階では「忍耐」がもっとも大事だったし、いよいよ志をとげようという実践の段階では「大胆不敵」に、そして志を得た段階ではますますもって「油断大敵」と心得てきたと、家康の性格そのままの表現である。

 

●戦国時代を生き抜いて日本統一を成しとげた家康らしい、といえばその通りだが、この教訓は今日のわれわれにも生きる。特にこれから先、志を遂げようと思うとき、大切なのは忍耐の二文字。我慢の尊さである。

 

●苦難に耐え忍ぶ忍耐の体験は、人間を一回り大きくすることは確かなことで、一度体験することで人は落ち着きも取り返し、次なる段階へ希望もわくものだ。家康は体験的にこの真理を知っていた人物とも言える。

 

●よく知られているように家康は三河岡崎の城主、松平広忠の長男に生まれながら、六歳のときに尾張・織田信秀のもとに人質に出され、ついで駿河・今川義元のもとで第二の人質生活を余儀なくされる。いずれも近隣の大国に対して、父広忠が「決して反乱は起こさない」とニ心のないことを示すための人質だった。

 

●年少の家康(当時、竹千代)にとってみれば、人質の意味がわかっているだけに、ひたすら忍耐するしか方法がなかったわけだ。

 

●家康の人質生活が終わるのは、今川義元が織田信長の軍に桶狭間に破れて戦死してからだから、前後十三年の人質であった。六歳から十八歳までの年齢である。忍耐、苦労の味が十分にみにしみていたといえようか。


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