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長州藩士 高杉晋作

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およそ男というものは、困ったといってはならぬ

●幕末を鮮やかに生き抜き、二十七歳の若さで病に倒れた高杉晋作は、若い長州藩士たちのリーダーとして、常に難局に対処していた。引用の言葉は、高杉が自戒とするとともに、部下に言い聞かせていた言葉である。

 

●高杉はよく、部下たちが血気にはやって騒いでいる中にあって、三味線を爪弾きながら自作の都々逸を口ずさみ、悠々としていた。そうした晋作の肝っ玉の据わった様子は、付き従う志士たちに頼もしさを感じさせ、奮い立たせたものだ。

 

●そうした泰然自若とした態度とは逆に、頭脳は時に応じて自在に働き、ひとたび決断するや、疾風迅雷の行動を見せた。

 

●1964(元治元)年8月4日、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの四カ国は、連合艦隊を編成し、長州・下関の砲台を攻撃してきた。前年、長州が幕府の攘夷決行の命を受け、下関海峡を通過する外国船を無差別攻撃したことへの報復である。

 

●高杉は奇兵隊を指揮して戦いに参加したが、連合艦隊は大砲二百余門、兵五千人、長州側は旧式の大砲がわずかと、兵二千人である。三日で長州は降伏した。

 

●和平交渉の代表として高杉が選ばれた。高杉は二人の副使を伴って連合艦隊のクーパー提督と会見した。
「我々は敗れてはいない。したがって降伏に来たわけではない」

 

●提督は、高杉の胆力に圧倒され、降伏ではなく、長州側の主張どおり「和議」を結ぶことにした。二回目の会議で、提督は下関の彦島の租借を要求した。

 

●高杉は、すかさず断った。その断り方に高杉の面目躍如たるものがあった。『古事記』の難解な語句を当意即妙に混じえ、まくしたてたのだ。通辞は翻訳に困惑し、提督も理解しにくいため、疲れきって彦島租借は諦めた。

 

●人の上に立って事業を推進する者に、弱音、弱気は禁物である。高杉は男の行動の原理を貫き、動乱の時代を鮮烈に先駆けたのである。


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