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豊田式自動織機の発明者 豊田佐吉

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人のやったことは、まだ人のやれることの百分の一にすぎない

●人間のもつ能力の不思議さ、その深さについて教えた言葉だが、凡人が考えても確かにそのとおりで、人間はまだまだ色々なことができると思う。だが、豊田佐吉のような非凡な人に、「人がやったといっても、能力の百分の一を発揮しただけではないか」
と教えられてみると、なるほどそうかと勇気づけられる。自分の能力を試してみたいのは、人間が本来もっている自然な要求だ、どこまでそなわっているのか能力の限界を試してみたいものだ。

 

●豊田佐吉は、ある意味で一生かかって自分を試した発明家である。郷里静岡で父の大工職を継いでいたが、織機の研究に没頭して、明治二十三年に豊田式人力織機を発明する。これが彼の発明第一号だったが、もちろん満足することなく六年後には、わが国初の小幅力織機である豊田式木製動力織機を完成する。

 

●人力から動力へ、土地の人たちの働く姿を見ているうちに、「機械力を高めてやれば、どれだけ人々が喜ぶことだろう」
と考えた佐吉の発明だった。明治中期の日本にとって織物は重要な産業だった。

 

●まもなく三井系の資本が彼の発明に出資合併を申し入れてきて、一時佐吉は技師長というポストにつくが、彼の考える経営が大資本に受け入れられるわけもなく独立して名古屋に豊田商会を設立する。

 

●そのころから彼は、広幅織機、軽便織機などつぎつぎに発明、改良をこころみているが、もうこうなると紡織業の機械化は完全にペースにのって、産業そのものが大きな転換をするのである。町の一発明家としてスタートした彼の仕事が大正期の日本産業を大きく動かすことになった。

 

●とくに第一次大戦を契機として彼の事業は大成長をとげている。対外進出も始めて、上海に豊田紡績を作ったりしているが、事業の成功のかたわら発明はこつこつと続けていて大正十三年には多年の研究の成果である「新自動織機」を完成させている。それでもなお「人のもつ能力の百分の一だ」と彼はいうのである。


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