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明治前期の実業家 五代友厚

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地位か名誉か金か、いや、大切なのは目的だ

●この言葉は、五代が大阪をイギリスのバーミンガムのような大工業都市に育て、大阪の商工業の発展に尽くすべく、官を辞すとき、友人にいったものである。

 

●当時の大阪は幕末の大回転ですっかり昔日の面影を失ってしまっていた。五代は地位にも名誉にも金にも執着せず、大阪実業界のために奔走する目的で大阪に腰をすえた。

 

●五代は薩摩島津藩の出身で、幕末、維新の動乱の中で、勤王の志士として活躍し、新政府の顕職に就いていた。その顕職を辞して、明治二年、野に下ったのである。

 

●五代は民間人になると、金銀分析所を設立し、古い貨幣を大量に買い集め、鋳つぶしては金銀の地金にして、造幣寮に時価で売り、巨富を得た。

 

●次に鉱山の開発に乗り出した。弘成館を設立して、半田銀山や水沢鉱山を初めとして全国に十五の鉱山を手中にした。

 

●第三に手がけたのは、紡績事業の啓発である。堂島に朝陽館を設立し、大工場での生産を成功させた。

 

●こうした事業を手がける一方、明治九年十月、堂島米会所を復活させて堂島米商会所を設立し、十一年五月、北浜に大阪株式取引所を開設した。さらに、同年八月、大阪商法会議所を設立し、初代会頭に就任した。

 

●また、十三年には大阪商業講習所(大阪市立大学の前身)を開設した。この年、渋沢栄一と手を結び、東京馬車鉄道を設立している。十七年には阪堺鉄道会社(南海鉄道の前身)を設立した。

 

●こうして、大阪財界の興隆に奔走し、明治実業界の西のリーダーとして尽力した。が、万事うまくいったわけではない。明治十四年に北海道開拓使官有物払い下げ事件を引き起こし、汚点を残した。

 

●しかし、タイトルの言葉にもあるように五代が野に下った目的は、地位や名誉や金ではなく、大阪財界の興隆と近代化にあった。その目的があったから五代は、私利私欲を離れて全力を投入し、見事に世話役の重責を果たし、大阪財界の創始者になりえた。

 

●地位や名誉、金を二の次とし、世のために尽くす目的で事業を起こし、全力をあげて行動すれば、事業は成りやすい。事業が成功すれば、結果として、二の次にしていたものが手に入るのである。


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